【仕事の違和感】自分の中の「ゴールデンサークル」に向き合ってみた!

【仕事の違和感】自分の中の「ゴールデンサークル」に向き合ってみた!

デザインという響きは好きだろうか?

自分は好きだ。なぜかというとかっこいいからだ。世の中には様々な職業の肩書きがある。しかし「デザイナー」という響きはなかなか良いと思う。

「オシャレ」「クリエイティブ」とか色々あるが。正直自分もそんなイメージである。だがそれは当事者になるまでの話だが。

今回は、デザイナーの端くれでもある自分の苦悩を書きたいと思う。

ただデザイナーっていいたいから

自分がデザインで仕事をしてみたいなぁ…と思ったのはこれにつきたと思う。

元々はミュージシャンを目指し、作曲をしたりバンドをやってみたりな毎日であったが、どうにもこれは食えないぞ?才能のある人が世の中にはゴロゴロいるぞ?と感じ日々、年齢もあり悩んでいる所だった。

30歳に差し掛かった際、デザイン会社の求人をみて「え!デザインってなんかすげ〜」と応募し運よく入ることが出来た。なにもかもわからないのによく入れたな~と今でも思う。しかしまあ人生はそんなものだとも思う。

世の中の人達になぜ今の職業についたか問うとき、どんな答えあるのだろうか。

それぞれに仕事と人生がある。

最初はなんとなくこなしていた仕事も、時を重ねると「責任」と「精度」が求められるはず。もちろん自分もそれだ。なんとな~くソフトを使い、デザインと呼べるかわからない要素と要素の配置をしていたら、そのなんとな~くはダメだということに気づく。

音楽と同じよう周りに才能ある人間がわんさかいるからだ。子供のころからデザイナーに憧れ、毎日デザインの事しか考えてない人間には到底勝てるわけがないと思った。

別に子供のころじゃなくても、新卒(22歳くらい)で入った人だって若いうちからデザイン業界にふれていればそれなりだである。

そして会社では、デザイン以外の業務もクリエイティブにこなせと言う風潮があった。デザイン(情報を整理して綺麗)に働けということだろう。最初は意味わからなかったが。

ある時気付いた。

ただ肩書きを言いたいからは結局カッコつけだということに気づく。もちろんいつだってカッコはつけていたい。今もこれからも。しかし本質はちがうのだ。デザイナーとしてカッコイイとデザイナーって言うとカッコイイは違う。

サイモン・シネック氏のゴールデンサークルはご存知だろうか。「何をやるか?」ではなく「なぜそれをするのか?」という物事の本質を提唱した理論だ。

「なぜ」→「どうやって」→「なにを」の順番の円を作り、物事を説明するとき「なぜ?」から始めることで共感を得ることができるということだ。

多くの人はこれが逆だ。「なにを」→「どうやって」→「なぜ」なのである。

例えば、大企業へと成長したAppleは…

  • 「なぜ:我々のすることは世界を変えると信じている。そして違う考えに価値があると信じている」
  • 「どうやって:すべての製品を美しくシンプルに使いやすい製品にする」
  • 「なにを:素晴らしいスペックの製品が誕生した」

Appleがあそこまで大きくなりファンが多いのも納得である。

これが普通の企業だと…

  • 「なにを:素晴らしく早いスペックのパソコンを作った」
  • 「どうやって:ストレスなく最高の処理速度で仕事ができるだろう、そして使う人もよろこぶだろう」
  • 「なぜ:・・・」

ここで終わりだ。本質がなかったりする。

これはどうにも説得力がない。これを今の話におきかえてしまうと。

Appleの流れだったら…

  • 「なぜ:自分の作るデザインは世界を変えると信じてる。そしてそのデザインに価値があると信じてる」
  • 「どうやって:私はこの依頼を受け、信念のもとこういったシンプルなデザインを作ることにした」
  • 「なにを:素晴らしいデザインができた。デザイナーってやっぱりカッコイイな」

しかし自分はそうではない。

  • 「なにを:素晴らしいデザインができた。デザイナーってやっぱりカッコイイな」
  • 「どうやって:企業の方は、このシンプルでかっこいいデザインをみてよろこぶだろうな」
  • 「なぜ:・・・」

こちらだ。そのため結局この程度で終わるだろう(いいデザインも大して作れないが)。最近特に思うのが、世の中の本物はいつでも「なぜ?」が先だと思う。人であろうと企業であろうと。説得力が違うのである。

「なぜ?」「ストーリー」が明確な思考は共感を得る

実際、自分も企業のロゴを作った際に造形やデザインより「なぜそのロゴが出来上がったのか?」と問われ、ストーリーが良いほど喜ばれ採用される。

音楽もなぜその曲が出来たかのストーリーや背景があると聞く気持ちも変わるはず。リスナーだって共感してくれる人がいる。アイドルの物語、その土地や風土の名物料理の背景。しかりだ。

自分の中にある「なぜ」を考えてみると面白いかもしれない。

今のところデザインに「なぜ」を見いだせないので、胸に抱え仕事をしていくつもりはない。デザインに対する情熱がないのもそのせいだろう。そしてそれでいいと思っている。

自然とその感情が今は湧かないからだ。

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